知的労働者でもコモディティになる

相変わらずtwitterからの話で恐縮ですが、人材としてコモディティになるのが嫌でコンサルになったけど、優秀な職場の先輩ですらハードワークで…という話がTLに流れてきました。

https://twitter.com/tmk_dbt/status/390835995559477248

 

これを見て、同じような話を友人としたことがあったのを思い出しました。

その友人(仮にAとします)と話していたのは、誰もが知ってる超有名・超人気の外資系企業に就職した別の友人Bのこと。このツイートをした人のように、ハードワークに苦労しているという話でした。

Aは、一見すれば就職戦線の勝利者のように見えるBのことを「コモディティ的人材」と評していました。

 「コモディティ」とは、原義は商品とか生産品とかを意味するものですが、ここで言うコモディティとは、マーケティング用語のこと。

市場に出回っている商品が個性を失ってしまい、消費者にとってみればどのメーカーのどの商品を買っても大差がないようなもの

のことを言います。例えばティッシュとかトイレットペーパーとかは、たいていの人にとっては鼻をかんだりお尻を拭いたりする機能さえあれば十分だと思いますが、そうなると、どこのメーカーかとか、どういう追加の機能があるかとかよりも、量販店で10箱いくらかとか、18ロールでいくらかだけが問題になる。

David Blackwell. / Foter.com / CC BY-ND

 

これを人に当てはめ、コモディティ化した人材になることに警鐘を鳴らしたのが1,2年前にはやった「僕は君たちに武器を配りたい」(瀧本哲史)ですが、この本で述べられたことをかいつまむと、人材というマーケットの中から見れば、例えば英語ができるとか、頭がいいとかというのは工業製品のスペックと変わりなく、求める水準に達していれば石鹸や歯ブラシのようなコモディティと同じように扱われる、ということ。同じようなスペックの人材が複数いれば、その中で買いたたかれるほかない。

 

僕はAの言葉を聞いたとき「あんなに超有名・超人気企業に採用されるような優秀な人間がコモディティ?そんなバカな?」と一瞬疑問を感じましたが、よく考えればまさしくその通り。

 「カシコい人材」の市場価値が高いのは間違いないと思いますが、それとコモディティかどうかは別の話で、「カシコい」だけの人間なんてよくよく考えればいくらでもいるわけです。例えば世の中で「カシコそう」というイメージがある東大生は毎年3000人ずつ増えてるわけで、程度の差はあるかもしれないけど、間違いなく量産されている。なるほどな、と思った。

最初のツイートの話にても、コンサル会社は毎年カシコい人材を新卒から抱え込もうとするし、中途採用でもジャブジャブ採用しています。業界内はもちろん社内にだってかなりの規模の人材市場が出来上がってる。誤解を恐れずに言えば、分析だってフレームワークとしてある意味で規格化されてるんだから、よほど斬新な切り口があるとか業界知識に詳しいとかでないと差別化できない。

 「カシコい」という理由で採用された知的労働者と聞けば、年収も高そうだし、一見コモディティとは無縁のように見えるけど、カシコい人たちの中での競争にさらされ、その中で買いたたかれてしまう。そうなってくるとあとは自分を安売りするコモディティの道しか残されない。

コンサルと聞くとまあ年収高そうですし、安売りという印象はあんまりないかもしれませんが、総額としては高くても、長時間労働をすることで時間当たりの給料を低くし、実質的に自分を値引きしてくことになります。その結果が「休みをとったのにリゾート地で仕事」とか「淡々と徹夜で仕事」とかいう話になってしまうのではないでしょうか。「優秀」と評価される人ほど、自分を安売りしている。

 

逆に考えると、程度の差こそあれ、これはコンサルだけの話、外資だけの話に限らないように思います。例えば自分がいた役所の世界だって、2年おきに異動があって、その度ごとにまったく異なる仕事をしないといけなかった。ある年は工事を担当してたのに、次は物流の調査だったり、前のポストの経験が生きることは多くありません。自分の強みを生かして・・・とかいう話には、どうしたってならない。これは大企業のいわゆる総合職も同じような境遇ではないでしょうか。業種にかかわらず、こういうコモディティ的な働き方をせざるをえない知的労働者はけっこういる。

 

役所の場合であれば、そんな中でも成果を出そうとすれば、どれだけ長時間かかっても前例や法令を徹底的に調べてインプットしていくという仕事のスタイルのほかは選択肢がなくなります。給料は残業が多かろうが少なかろうがほとんど同じなので、インプットに時間をかければかけるだけ単価は下がる。下がるけども、アウトプットをよくするためにはそうするしか方法がない。結果として、ハードワークで時給を下げた人ほど優秀という評価になる。

 

こうやって考えると、人材市場の中でコモディティ化するかどうかは、業界や職種に関係ない気がしてきました。

「十分な人材供給」があって「『自分にしかできない価値』を蓄積できない」職場なら常に市場は供給過多になるので、自分を安売りせざるを得なくなる。知的労働であってもコモディティにはなりうる

コモディティになりたくないのなら、業界の人材供給構造がどうなっているかと、そこで働く人がどうやってバリューを出すのかをまず分析する必要があるのではないでしょうか。

僕は君たちに武器を配りたい

僕は君たちに武器を配りたい