生産者の都合を消費者に押し付けてはいけない

ひろゆき氏が日本ユニセフ協会に対して募金を呼び掛けているアグネス・チャンさんに対して公開質問状を出したのが話題になってます。 

論点はいくつかあるようですが、一番注目を集めているのが、次のところ。

アグネスさんが募金先にあげている日本ユニセフ協会は、2012年度、募金の81%しか、ユニセフ本部に送っていません。

一方、ユニセフ親善大使をされている黒柳徹子さんは、募金の100%をユニセフ本部に送っているそうです。

非営利団体が募金からランニングコストをねん出することについては、しばしば「中抜きだ」という批判が一部からあります。一方で、事業を実施する以上は手弁当だけでやることもできないので、そういうコストが発生することはやむを得ないという風に見ることもできます。

これについては、イケダハヤトさんなど、たくさん人がさまざまな記事を書いておられるのですが、その中に、手弁当の活動をあたかも悪いことのように書かれているものがあり、違和感を感じました。

一例として、学生企業家の後藤さんの書かれた「学生起業家が「アグネス・チャンへの質問状」を見て感じた3つのこと」という記事。この中で、次のような寓話をあげ、事業コストへの批判に対する意見を述べています。

とある片田舎で高齢者の買い物代行のビジネスをやっている企業があったとする。高齢者の代わりにスーパーで買物をしてきて、月額1万円の手数料をもらうビジネスをしていたと仮定しよう。

そこに、とある意識の高い大学生1年生が現れた。「あの企業は、高齢者が体が悪いのをいいことに暴利を貪っている!僕が無償で買い物代行します!」と名乗りをあげた。

 

「なんと素晴らしいことだろうか。これで毎月1万円分、孫におもちゃを買ってあげられる。」高齢者はその大学生を諸手を挙げて歓迎した。

 

…数年間はそれでいいかもしれない。でも、4年後その地域はどうなっているだろうか。

 

大学生は就職してしまい、もう助けてはくれない。以前、買い物代行ビジネスをやっていた企業は、事業が継続できず、あっという間にその地域から撤退してしまった。その地域に残されたのは、買い物に行けない老人だけ。

果たして、大学生がその地域に対して振りまいた善意は、本当にその地域のためになったのだろうか。僕はこれをどうしても「学生の自尊心を満たすための、無責任な市場破壊」と捉えてしまう。

無責任な価格破壊は、取引されている価値を貶めることに繋がり、市場全体のサービスの品質の低下に繋がる。最悪なのが、焼畑商法の説明にもあったように、自分が満足するまでやるだけやって、市場をメチャクチャにしたまま、トンヅラ(撤退)というパターンである。

無闇に価格破壊をするのではなく、「その仕組みがサステイナブルであるかどうか」を十分に考えた上で行動に移さなければならない。さもなければ、本人が問題意識を抱えるその市場を取り返しの付かない灰の山にしてしまう可能性がある。

 

善意がベースとなった価格破壊が起こることで継続的な事業主体がいなくなり、結果的にみんなアンハッピーになってしまう、という話です。確かにそういう悲劇が起きる可能性は多分にあり、望ましいことではないと僕も考えます。

 

僕自身も、例えば手弁当でやって10万円の募金を集められる事業と、広報や人件費で100万円コストがかかっても1000万円募金を集められる事業であれば、後者のほうがパフォーマンスもよく、世の中の役に立ってるので、後者のほうがよい事業だろうと考えています。

 

ただ、一方で、「NPO職員の給料のために募金しているつもりはない」と思う人もいて当然だとも思うのです。

誰に強制されるでもなく、自発的な意思で行うものなのだから、その人が納得する使い方をするほうに募金すればよいというだけです。そういう人は、前者の手弁当のほうに募金すればよい。アグネスが気に入らないとか、中抜きされるのが嫌ならば黒柳さんに寄付すればよいし、日本ユニセフの活動に共感すればそっちにすればよいことに過ぎない。

寄付をどこにするかだって立派な市場サービスです。これは、モンブランが好きかショートケーキが好きかという違いでしかないのに、「モンブランが流行るとショートケーキが駆逐されるから、モンブランを勧めるのはおかしい」と言っているように感じられる。

 

金銭が目的なのか自己満足が目的なのかは別にせよ、こういう非営利の活動だって市場に自分のサービスを売っているのにほかならない。それを市場破壊だのなんだのっていうこと自体が生産者の都合を消費者に押し付けていることに他ならないのではないかと思うのです。

そんな都合が通用するなら公共事業だってバンバン随意契約して地元の業者がサスティナブルになるように受注調整すればいいし、地元業者だってドンドン談合すればいいってことになる。でもそんなの変でしょ?

さっきの寓話にしても、本当にビジネスとして成立するなら学生が撤退した後にまたサービスを供給する者が現れるはずで、自分がそのマーケットに居座り続けることを正当化する理由にはならない。

どんな世界だって競合がいて、競争が発生するわけです。その競争に勝つために、みんな切磋琢磨して、サービスのレベルがあがり、結果的にユーザーの満足度もあがる。それを生産者の都合で否定するのはおかしい。

 

日本ユニセフに話を戻せば、個人個人が、いろんな情報を見て・聞いて自分の考えにより合致するところに寄付をすればよいことだと思います。日本ユニセフが生き残るのかは、マーケットが決めることで、生き残ってよいとか、生き残るべきではないとかは誰かが議論して決める問題ではないということです。*1

*1:もちろん、その前段として「自分はこう思う」という意見表明することは大事だと思います。前出のブログにしても、こういう意見が世の中にでることはとても意味がある。