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U-Turner's Journal @Toyama

富山にUターンしてきました。

もし今日が自分の人生最後の日だとしたら

2011年3月11日、僕は霞が関にいた。

ねじれ国会で公債特例法が年度内に成立しない可能性が高く、4月以降の予算執行をどうするかあーだこうだと考えていた記憶がある。そして翌日が九州新幹線の開業日だったので、式典準備で前日入りするために上司が皆午後からいなくなるはずだったので、「あ、今日は上司が誰もいないから早く帰れるわ!ラッキー!」なんてことを考えていた。

14時46分、地震が霞ヶ関の合同庁舎を揺らした。1週間ぐらい前から、なんとなく地震が多いなと感じていたので、最初は「また揺れてるな」という感じだった。ただ、あの日は揺れが一向に収まらないし、だんだんと揺れが強くなっていた。

誰かが「あ、こりゃダメだわ」と言ったのが、今でも耳に残っている。

 

15時過ぎ、揺れが少し弱まった中、ヘリが中継していた、津波の映像を見ていた。画面越しではあるけど、目の前でまちが津波に飲まれ、人が消えていく。

えらいことになったな、と思う一方、まるでハリウッド映画だなと感じるぐらい、現実感がなかった。

 

3.11のあと、僕は行政官として2度、東北で仕事をした。1度目は2011年の6月から2週間、2度目は2012年の4月から3ヶ月間。最後に東北に行ってから2年が経つけど、被災地はあのときからどれだけ変わったろうか。

 

東日本大震災を経て、まちが無くなる様を見て、僕が感じたのは「世の中に永久不滅なものなんてないのだ」ということだ。津波で流された人たちは、いったい何か悪いことをしたのだろうか?自分に原因があるとかないとかに関係なく、ある日突然、無慈悲に自分の立ち位置が崩れ去ってしまうということは、確かに起こりうるのだと。

 

"Stay hungry, Stay foolish."で有名なジョブズのスタンフォード大でのスピーチに、以下のようなくだりがある*1

「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか?」。それに対する答えが“NO”の日が幾日も続くと、そろそろ何かを変える必要があるなと、そう悟るわけです。
君たちの時間は限られている。だから自分以外の他の誰かの人生を生きて無駄にする暇なんかない。

ある日突然、命が奪われたり、そうでなくても自分の可能性が失われてしまう可能性があるなかで、どうやって、後悔しない生き方ができるか。

今年の3.11は、そんなことを考えた日だった。