新国立競技場とフリーザの宇宙船と社会基盤

老朽化による建て替えのため、今夏より解体が決まっている国立競技場ですが、去る5/31にはファイナルイベントが開催されましたね。2020年というとまだまだ先のように感じますが、あと数か月でメインスタジアムに着工、と聞くとワクワクしてきます。

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しかし、ザハ・ハディドの設計による新国立競技場については、2012年11月のデザインコンペから1年半が経った今も、

・ザハのコンペ案どおりとすれば、想定している予算1300億円を大きく上回る3000億円のコストが見込まれる

・巨大で存在感のあるザハのデザインでは、明治神宮を含む周囲の景観を壊す

っといったことを理由に、一部の建築屋さんを中心にザハのデザインに対して不満が燻っているようです。

 そんな中、ファイナルイベントの開催と時期を同じくして、日本スポーツ振興センター(JSC)から基本設計案が公開されました(↓)

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うーん、大人の事情でいろいろ苦労したんだなぁと思うと同時に、カドがとれ過ぎた結果、 えらく中途半端なデザインになってしまったなあとも思いました。

もともとのコンペ案の、近未来的でワクワクする感じとか、オリンピックを機に東京はまた生まれ変わるんだ、という期待感とか、そういうものが削ぎ落とされて、フリーザ様が乗ってきた宇宙船みたいになってしまった。

 

なんというか、プロジェクトが失敗する典型例だなという感じがしてとても不安に思います。

 

この手の公共事業ってどう転んでも誰かに何か言われるわけです。その結果

とにかく反論されないように当たり障りのないものにしよう

多少スペックを落として”コストダウンした”と言い訳できるものにしよう

という変な力が働く。

例えば、道路だったら片側2車線のものを1車線にして「コスト縮減しました」と言ってみたり、ダムだったら治水専用穴あきダムにして「環境に配慮しました」とか言ってみたりする。

でもよく考えれば、せっかく山を切って土を持って、大規模な環境改変するのに、その結果できるものが時速60kmでトロトロ走るのがやっとの高速道路だなんて、めちゃくちゃ勿体なくないですか?

 

そりゃあ、今そのプロジェクトを動かしてる人からすれば「とにかく外野を黙らせたい」「プロジェクトを先に進めたい」のかもしれない。でも、中途半端なスペックの社会基盤をつくるのは、ある意味で将来に対する罪だと僕は思っています。

 

新しい国立競技場だって少なくとも半世紀は東京のスポーツの「聖地」になるものです。自分たちの子供や孫の世代にとって本当に価値のあるものを残すことができるのか、残す気概があるのか、というのがまさに問われている。

確かに事業を安全に進めることを考えたらモメごとは少ない方がいいし、事業費も安い方がいい。要は「カタいやつ」が一番いいということになる。でも、そんな安牌の塊みたいなものを次の世代に残して、僕らはいったいどうするのか