朝日批判は「言論統制」「軍靴の足音」なのか

最近少し下火になってきたが、朝日新聞が大炎上している。

これをチャンスとばかりに、他紙が朝日新聞購読者層に対して朝日批判広告を配ったりして切り崩しを図ったりと、カオスな状況になっている。SNSやブログでも朝日新聞批判がたびたび流れてくる。

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写真はWikipediaより 

 

一方で、こういう朝日批判を「行き過ぎたバッシングである」と見る向きもあるようだ。中には「言論統制」だとか「軍靴の足音が聞こえる」といったことをいう方もいる。

 

失策を犯した朝日新聞に対するバッシングが、果たして「言論統制」なのか。それが「軍靴の足音」を響かせるものなのか。

 

そもそも、朝日新聞は自分の記事を売る、というのが商売の基本になっている。

朝日新聞の記事がよい、と思うから読者は朝日新聞を購読し、企業は朝日新聞に広告を出す。その売り上げによって朝日新聞社の商売が成り立っている。

 

そうであるならば、自らの商品の瑕疵によって起きた批判は、自分が受け入れなければならないのではないか。

 

たとえば、「iphone6の出来が悪い」「ポケットに入れていると曲がる」とappleが批判されたからといって「appleの表現の自由が封殺されている!!!」なんて話には当然ながらならないわけです。

 

新聞は情報を売っている。それが不正確だったり誤解を生むものだったと言うことは、自らの商品が欠陥品で、市場の期待に応えられなかったということ。

それが売れないのはまったく当然の話で、それを批判されることをに対して「言論の自由」とかを引き出すなんてちゃんちゃらおかしい。

そんなもんただのマーケットメカニズムですよ。

 

別の例でいえば、「早く結婚しろ」といった都議だって、それが自分のキャラクターであり、そういう思想を支持する人が一定するいたからこそ、議員になれたわけですよ。選挙市場で受け入れられていたからこそ、ああいう思想でも議員になれた。

その代わり、その発言の中身については当然に彼自らが負っている。それが受け入れられなくなれば、当然に落選する(=マーケットから排除される)。

 

報道だってビジネスの1つ。

商品は、市場がそれに価値を見いださなくなる(=売れなくなる)ことでマーケットから排除されていく。そのプロセスの中でダメなものは淘汰され、質のいいものが残る。これが我々の生活を少しずつ改善してきた。

商品に対してマーケットからのフィードバックを認めなかったら、それこそ「言論統制」でしょ。

 

でっち上げ記事でも、いい加減な記事でも、なんでもかんでも報道するのはマスコミ様の自由!フリーダム!なんてなったら我々はいったい何を信じて情報を得るんでしょうか?

 

今回の件で朝日新聞が批判されるのは、消費者行動として全く当たり前。

テレビを買って電源が入らなかったら「どうなってるんだコラ!」っていいたくなるのは全く自然なことでしょう。