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U-Turner's Journal @Toyama

富山にUターンしてきました。

「お前は偉人じゃないだろ」というナイフを喉元に突き付けろ

学生の時、明治の近代化黎明期のころの土木技術者についての授業があった。

 

大学卒業後、パナマ運河開削に技術者として携わった青山士。

卒論で計画した琵琶湖疎水の工事に実際に従事した田辺朔朗。

関東大震災の復興のシンボルとなった永代橋・清洲橋を設計した田中豊。

・・・・

 

僕らの先輩はなんてすごいことをしてきたのだろう、と思った。

土木を学ぶ人間としてとても誇らしかった。

自分もこんなエンジニアになろう、いや、そうならなくてはならないと思った。

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最近、土木からちょっと離れてみて改めて感じるのは、「土木技術者に偉人がいる」ということ「土木技術者の自分が偉い」かどうかは全く別の話だということだ。

これは、退官前からなんとなく感じていたことだったけど、土木を離れてより強く自覚することができた。

 

初学者に対して、土木の歴史を教え、その歴史的な意義を理解させるのはとても大事なことだ。とはいえ、土木のこの手の「情操教育」は業界人を頑迷にしている面が多分にあるのではないかと思う。

烏山頭ダムは台湾の灌漑に素晴らしい貢献をしたのは間違いないけど、それと今まさにダムを作ることの意義は全く分けて考えないといけない。

 

最近、高度成長期の高速道路やら新幹線やらの地域開発効果を以て、今まさにつくっている高速道路や新幹線の地域開発効果を語る人がいるが、こんなめちゃくちゃな話はない。

今の社会経済状況に当てはめた時に、それがいったいどういう効果があり、どういう意義があるのか? それを語る努力をせずして大昔の威光に縋って「土木のすばらしさ」を語るのは自己満足でしかない。

 

 

今の仕事の意義を否定する必要はないけど、それを等身大の自分の業務に置き換えた時に「自分はエライ仕事をしているのだ!」と本音ベースでどこまで言えるのか?というのをきちんと考えないと、どこかで足元をすくわれる。

 

これは土木に限らないと思うけど、そういうのをギリギリ詰めていったとき、最後の最後に「いや、やはり自分はエライ仕事をしている!」と言い切れるような仕事をしたい。

「お前は偉人じゃないだろ」という認識は、常に喉元にナイフを突きつけるように帯同してないといけない。