地域活性化の「好事例」のその後

A地区は過疎率が高く、B地区ははその傾向が緩慢である。

A地区は現在なお人口の流出が止まらないがB地区は近年若者のUターンもあるという。

B地区においては、戦後直ちに集落を守るために壮年会が組織され、婦人会活動や青年団、公民館活動等が活発に行われ、今日もなお連綿として持続され、村を守る住民意識に支えられている事は注目に値するものと思われる。この事は所得の上昇を生み、協力と連帯の地域性が保持され、古里意識の向上となり、若者の、Uターンに希望を持つことを可能にしたものと思われる。

(B地区の)住民の集落を守る共通の意識はA地区よりはるかに高い

(B地区は)早くから住民の村を守る意識が強く住民の組織活動により、協力や連帯が維持され過疎化を防止し、村の再生に希望を託している

以上は、ある地域の2つの地区の過疎化について論じたレポートを抜粋したものです。どういう印象を持たれたでしょうか。(なお、A地区・B地区の表記は筆者によるもの)

 

実はこれ、富山県農村医学研究会が1981年に発効した論文集の中の一編で、上市厚生病院(現・かみいち総合病院)の当時の院長だった越山健二氏が、富山県上市町の山間部の白萩東部地区と白萩南部地区についてリサーチしたものです。

 

およそ35年前の論文ですが、現在も地域活性化の文脈でよく言われがちなことと内容が殆ど変わらないなと感じました。

 

へき地集落における過疎化要因」と題されたこのレポートから35年が経過した今、A地区・B地区がどうなっているかというと、どちらも尋常じゃないほど過疎化しています。過疎化が指摘されていたA地区は人口9人で消滅まで秒読み状態、「近年若者のUターンもある」とされたB地区も順調に人口を減らして今では90人にまで減少しており、こちらもリーチがかかっている。


Wikipedia情報ですが、初めて「過疎」という言葉が国会に登場したは昭和40年代らしいです。以来、かれこれ半世紀も「過疎」は社会問題であり、様々な議論がなされてきた。その中では上記のB地区のように「協力や連帯が維持され過疎化を防止」とほめそやされる地域もあったのでしょう。ですが、今改めて振り返ってみると、当時は「好事例」とされた地区も大きな社会の流れに抗しきれず、都市化の中で消滅しそうになっている

 

2017年の現代も、地方創生の名の下に「地域おこし協力隊」「サテライトオフィス」「日本版CCRC」「小さな拠点」etcの地域活性化キラキラワードが跋扈している。現時点において巷で「好事例」とされているものが、果たして本当に30年後も「好事例」であり続けるのか?35年前の論文はそんなことを僕らに突き付けているように思われます。

 

日本全体が人口減少局面になり、場所によっては一集落だけでなく地域全体が「過疎化」していく中、どうソフトランディングしていくのか。地方の人間として流行りの「好事例」に捉われず、地に足をつけて事業をしていく必要があると感じました。

 

特にオチはないのですが、本日はこんなところで。