政策リソース欠乏時代の都市政策

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これからの都市政策ってどうなるんだろうとボンヤリと考えていた。

 

例えば、交通弱者問題というと、これまでは「過疎地の赤字のバス路線に補助金出すか否か」というレベルの議論だった。単に「足りないから行政が金を出して維持しましょう」という足し算の政策だった。

 

ところが、超高齢社会になってみると、路線バスに補助金出す余裕もない自治体が増えてきているし、場所によってはそもそもバスの運転手が確保できるのか?というところまで来ている。「カネもないし、ヒトもいない」という政策リソースが欠乏する時代が到来している。

 

こうなると、交通弱者問題を解決するのに都市交通制度だけの話をしても意味がなくなってくる。交通ニーズが日用品の買い物に関するものであれば、路線バス以外にも移動販売車や通信販売という方法もある。病院に行きたい、というのであれば、送迎バス・介護タクシーや訪問診療という解決策もある。単に不足しているものを議論するのではなく、地域のニーズをどういう手段で満たしていくか、総体として地域住民が"なんとかやっていける"にはどうするかを考えるの政策が求められている。

 

政策リソース欠乏時代には分野横断的政策が必要

これまで「都市政策」とおおざっぱな政策分野として括られていたが、政策リソース欠乏時代では、商圏人口はどうか、医療提供体制はどうか、、、といった幅広い分野について横断的な理解が必要になる。都市機能を特定の地区に誘導することを試みる「立地適正化計画」は居住機能や医療・福祉・商業、公共交通等々、いろんな視点を入れようと努力はされているけど、出来上がったものを見ると商業や医療の議論は表層的な印象はぬぐえない。

 

立地適正化計画に基づいて中山間地域に「コンビニがないから補助金出して誘致しましょう」「薬局がないから(以下略)」というのは、議論としてはわかりやすいものの、「なぜここにその店舗が立地しないのか?」という本質的な問題に対する答えがないままで、足し算の政策から脱却できていない。「都市計画部」「土木部」みたいな行政組織はそもそも経済成長前提・都市拡大前提の分配調整に最適化していて、縮退局面でいろんなことを統合していく上では政策ツールがなく、対応できなくなってきているように感じられる。

 

以前、内藤先生が日経アーキテクチュアで

建築、都市計画、土木が縦割りではなく、医療や地域経済の専門家も交え、融合して今後の都市復興や防災について考えないといけない時代が来ています

と話していたが、まさしくそういうことだと思う。もはや縦割りの学問分野だけで地域の問題は解決できないところに来ている

tech.nikkeibp.co.jp

 

 企業活動を都市政策に取り込む

話は変わるが、最近の病院広報では、「地域貢献」「地域活性化」がキーワードになっている。一昔前の医療機関の広報活動というと、「如何に自院を高度・先進的に見せるか」を争っていたが、時代が大きく変化してきている。

 

今、入院患者数は平均在院日数の短縮等で年1%弱のペースで減少している。これから高齢者人口がピークアウトとすることを考えると、医療機関がこの市場環境で生き残るには高度医療を売りに診療圏をいたずらに広げるよりも、地域に浸透し、地域社会のエコシステム(企業活動、地域活動、地域人口)を守ることで地元の基本的な医療ニーズを維持していくことが重要になってきているのだと思う。

 

これは医療機関に限った話ではなく、自然減でパイが小さくなってくると、自社の業績以上に「地域社会のエコシステムをいかに維持するか」が地域の企業にとっての関心ごとになってくるだろう。そういう意味でも、企業活動が都市に与える影響は今後ますます大きくなっていくはず。

 

以前のブログでも書いたが、自治体の政策ツールが欠乏していく中で、企業が自社の営業施策の一環として行っているものが、地域の福祉的セーフティネットの一翼を担う時代がきていると感じる。企業活動を社会問題の解決にどう活用するかが、これからの都市政策のポイントになる

www.tefujita.com

 

 「ないもの探し」からの脱却を

またまた話は変わるが、昨年秋の高岡市議会議員選挙で当選した瀬川市議がこんな問題提起をしていた。

高岡市内のさまざまな地域を回って政治活動をしていると、「地域はどこ(どの小学校区)からなの?」とよく聞かれます。 

しかし、自分の校区の事ばかり考えてしまい、「高岡市全体をどうしたいか?」という議論が置き去りになってしまっているのが、今の市の現状ではないかと感じています。

自分の校区の「ないもの探し」をして、埋めていった高岡市って魅力的な街でしょうか? 

ブログ | 瀬川ゆうきオフィシャルサイト「〇〇校区代表?」

 

これは本当に本質的な問題で、「ないもの探し」とはまさに「足し算の政策」。大選挙区制+校区単位選挙運動という組合せは横並び意識や妙な名誉感情を産みがちで、「ないもの」の充足を行政に求めてしまうことになる。

 

でも、もはや行政に「ないもの」をあまねく地域に行き渡らせる余裕はない。補助金や借金で「ないもの」を生み出すより、地域の企業と連帯してなんとか”間に合わせる”ことを考える時代になっている。