「『居心地が良く歩きたくなるまちなか』からはじまる都市の再生」報告書で感じたこと

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先日、都市局がやっていた「都市の多様性とイノベーションの創出に関する懇談会」の中間とりまとめ報告書が公表された。

2点気になったことがあったので、備忘録的に書いておきたい。

 

①ついにやってきたパワポ製の報告書

行政の資料はとにかくパワーポイントで作ったポンチ絵が多用される傾向にあるが、それでも審議会の答申や研究会・懇談会等の報告書はワードなり一太郎なりできっちりと文章化されるのが一般的。

ところが、今回の懇談会の報告書は、すべてパワーポイントで作成されている

確かにこの種の審議会等ので会議資料として提示されるものは殆どがパワーポイントで作成されているので、その積み上げの結果である報告書も、そのままパワーポイントで作成してしまう方が簡単なのは間違いない。働き方改革の観点からも、革新的なアプローチかもしれない。

とはいえ、本文と参考資料が悪魔合体したような報告書の体裁に、少なからぬ違和感を禁じえないし、理屈がないことをポンチ絵で力強く言い切っているだけなようにも感じられる。

 

②都市政策の「キラキラワード」化

オープンイノベーション、スパイキー化、デュアラー、ソーシャルキャピタル、セレンディピティ、ディスラプティブ、サードプレイス、ウォーカブル、ストロングタイ・ウィークタイ、リノベーション、バイオフィリックデザイン、、、

報告書をみると、最近まちづくり界隈でよく耳にするカタカナ言葉が多数含まれている。こういう言葉を行政の報告書に取り込んだことは、チャレンジングな方向性だと思う。

一方で、「都市の多様性」と謳っておきながらも、強い主体、イケてる主体に視点が偏っているようにも思える。

例えば「居心地が良く、かっこよく、本物感のあるまちなか」「本物のまちの雰囲気」という言葉が出てくるのだが、センスがジョック的すぎるのではないかと感じる。

ダサい主体はまちに不要なのか?

モノマネ・ニセモノは存在してはいけないのか?

もちろん「多様性」の中にそのような視点があるのはいいと思うのだが、当然ながら都市には様々な主体や場があるわけで、こういう言葉が無定義に、しかも暗黙に「善」とされた使われ方をしているのに、漠然とした危うさを感じてしまう。

 

この報告書の指摘の大部分は、まったく正論で、尤もで、是非推進すべきことだと思う。でも実際の都市は、いろんな問題を抱えていて、利害関係者も多様で、課題もなかなか解決できずにいる。

そういう都市の現状や課題を捨象して、「イケてる都市とは何か」を議論しても何にもならないのではないか。要は、「コミュニティが崩壊するのは、サードプレイスが出来ないのは、単に”やってないから”だけなんですか?」ということ。

キラキラワードを散りばめた都市政策、何となく先進的な印象を受けるが、本当に解決しないといけないものを覆い隠してしまうような気がしてならない。