アメリカで新たに導入された国民皆保険制度、通称”オバマケア”。
この本は、多くの人の期待のもと、オバマ大統領の主導で導入した制度が、アメリカの医療業界を結果的にズタズタにしていることを喝破した非常に興味深いルポ。
僕自身も誤解していたが、オバマケアは公的な医療保険制度でなく、あくまで”皆保険”を国民に義務付けるもの。互助組織である健保組合や協会けんぽ、行政が運営している国民健康保険が保険を提供し、そこへの加入を義務付ける日本の国民皆保険制度とは異なり、アメリカでは保険者はあくまで民間企業が中心。*1
民間企業ベースの保険では、利益を確保できることが大前提となる。
例えば既往歴があったりするような”リスクの高い”人はこれまで保険に加入できなかった。そういう人はそもそも医療を受けることができないか、やむを得ず医療を受けた結果として莫大な借金を背負うことになっていた。
オバマケアのキモである”皆保険”とは、保険会社に対しては、そういうリスクの高い患者に対して加入の拒否ができないということにある。これまで入り口で医療を受けることをあきらめていた人たちにとって、オバマケアが僥倖であったのはこのためだった。
しかし、これによって新しく”リスクの高い”被保険者が加わってくることは、これまでと同じ商品を同じ価格で売ると利益が確保できないということになる。当然の帰結だが、保険会社は”リスクの高い”人の保険料をグッとあげてリターンを確保することを試みるようになった。
一方で、”皆保険”は双務的な制度になっている。保険会社が加入を拒否できないのと同じく、すべての国民はどこかの保険に加入しなくてはならない。
結果的に、”リスクの高い人”は、今までは加入できないために払わなくてよかった保険料を、政府が強制して支払う羽目になってしまった。
また、オバマケアは、保険の最低限の基準を政府が決めている。例えば、麻薬中毒カウンセリングや小児医療、妊婦健診などが保険給付の対象に含まれていることが求められる。
例えば60歳の夫婦に、小児医療や妊婦健診の保険は必要だろうか?まったくオーバースペックな内容だが、オバマケアの導入で、今まで入っていた保険よりも割高な、使いもしないサービスがついた保険に加入しなくてはならなくなった。
オバマケアは、その財源の大部分を既存の公的保険メディケア・メディケイドの予算削減で捻出することにしている。そのための”医療の効率化”によって、メディケア・メディケイドからの医療費の支払いは厳しく査定されている。
これが医療の現場を疲弊させ、金払いの悪いメディケア・メディケイドの患者を診るのを止め、民間保険の患者しか相手にしない、という医者が増えている。
こうして公的保険の担い手が崩壊した結果、セルフメディケーションと称してウォルマートなどの小売業が医療業界に進出している。*2
ざっと読んで感じたのは、
どんなに悪い事例とされていることでも、それがはじめられたそもそもの動機は、善意によったものであった。だが、権力が、未熟で公正心に欠く人の手中に帰した場合には、良き動機も悪い結果につながるようになる。
というカエサルの言葉だ。
皆保険制度の導入というのは、アメリカの多くの人にとって悲願だったのは間違いない。本書に登場する多くの人も、オバマケアに期待を寄せていた。
それが、実際に導入されてみると、政府が良かれと思って課した規制が、市場原理の中で「風が吹けば桶屋が儲かる」式に多くの人に良くない影響を与えている。いわば「政府の失敗」と「市場の失敗」のハイブリッドだ。
多くのものがマーケットに委ねられている中で、一部分だけに規制をかけると、その業界の経済システムに歪が生じ、巡り巡って本来守ろうとした人たちを傷つける結果となってしまう。
世の中の問題を解決しようとするときは、目先の「良き動機」だけにとらわれることなく社会システムにどういう影響が及ぶのか、クールに見極める必要があるということだろう。
なお、本書は最後の章で「日本の医療制度がアメリカ型になって崩壊する」というような趣旨のことを書いてあるが、厚労省の審議会で出されている中身と全然違うので、そこは話半分に割り引いて考える必要がある。