去年ぐらいから"地方創生"というキーワードが永田町・霞ヶ関界隈で飛び交っている。
まあ地方の社会・経済はこのままだとヤバいのは間違いないので、意気込んでいただくののは大いに結構なんですけど、「地方で公共事業をバンバンやるのが地方創生なんやで~!!」みたいな、とっくの昔に絶滅した議論を振りかざす人が最近復活しつつある。
特にゲンナリするのは「太平洋ベルトが発展したのは、東名高速と東海道新幹線があったからである。」という議論を今に適用させようとするやつ。
それは歴史としては確かに正しいんだけど、「だから日本海側や中国・四国にも高速道路と新幹線をこれからつくれば発展する」みたいな超理論に飛躍しちゃう人がいる。
日本全体が焼け野原だったときは地方に高速交通網をつなげれば工場の受け皿になったかもしれないけど、今ならベトナムに工場たててコンテナで東京に運びますよ。
70年代、80年代は東京と地方の地価の差・人件費の安さでアービトラージできたから地方の工業化が進んだだけで、それを21世紀に持ってきて同じ現象が起こるわけがない。
今、工場立地競争でベトナムと戦おうったって人件費からして全然違うわけで、そもそも同じ土俵に立ってはいけない。
勝とうと思ったらそこの人がベトナムの工場労働者並の給料で働かないとダメで、そもそも物価が何倍も違うんだから、そんな工場が日本に出来たところでそこで働く人が幸せになれるわけがない。
一時、キヤノンが工場を国内回帰させて「製造業復活か?!」と話題になったけど、なんで回帰させたかというと、生産を完全無人化させて人件費が関係なくなってしまったから。だったらエンジニアがいる日本で面倒見るほうがいいよね、となっただけ。
当然、完全機械化された工場で働くのは生産管理する少数の知識労働者なわけで、そこには2次産業的な雇用吸収力はない。
①公共事業をガンガンやってインフラをつくる。
②出来たインフラを活用して工場を誘致する。
③誘致した工場が地域に雇用をつくって、地域が豊かになる。
こういう3段論法はもう崩壊している。
工場が出来てもそもそも旧来的な工場労働者は要らなくなってくるし、仮に旧来的な工場であっても、物価1/10の国との価格競争のなかで低賃金で働くしかない。
技術や社会情勢は時代とともに変わっていくので、それに対応した都市にしていかないとどうしようもない。
地方創生・国土強靭化とかいって地方に公共事業や交付税、交付金をばら撒いたところで本質的な体質が変わらないと意味がない。
21世紀に対応した産業を呼び込めない都市は生きていけない。
もはや「産業を呼び込む」という概念自体も崩壊しているかもしれない。東京の大企業の下請けでおこぼれに与るビジネスはもはや成立しなくなっている。
新しくビジネスをつくり、地域に富と雇用を落としていくことができる、インテリジェンスの高い人間たちを集める。それができない都市はじわじわと死んでいく。
ところが、ある程度教育を受けた人間が地方で就職する場合、ほとんどの地方では、選択肢は市役所・県庁・教員・電力会社ぐらいしかない。
こんなノーリスク産業にばっかり人が集まる都市が生き残っていけるはずがない。国から降ってくる公共事業・交付税・交付金の3Kが止まったら即死確実です。
要は、加工貿易、第二次産業中心だった時代の成功体験から私たちは卒業しないといけない時期に差し掛かっているということ。
ただ単に土地や人件費の安さではなく、知識労働者が「ここで働いてもいい」と思えるような利便性や快適性、文化のような「都市の豊かさ」がこれから問われる。
どういうのが正解かはわからないけど、それって「保育所に預けやすい」とか「水がうまい」とかそういう素朴な都市の魅力なんじゃないかと僕は思っている。
このパラダイムシフトができなければ、水たまりの中のオタマジャクシのように干上がって死ぬしかない。