ちょっと乗り遅れた感ありますが、上野千鶴子センセーの中日新聞の寄稿がプチ炎上していたので感想を。
建国記念日の中日新聞
— ハイゴ@Cube_Diver (@sakaki7539518) 2017年2月10日
この国のかたち2017
上野千鶴子
「平等に貧しくなろう」
・人口増えない
・移民は無理
・日本は人口減少と衰退を受け入れるべき
・平和に衰退していく社会のモデルになればいい
こっわ pic.twitter.com/GKruqdEpLH
この手の「脱成長」的な話がナンセンスなのは、いろんな方がもう議論しつくしてると思います。
ただ、(ナンセンスであることを前提に置きつつも、)
日本は人口減少と衰退を引き受けるべきです。平和に衰退していく社会のモデルになればいい。一億人維持とか、国内総生産(GDP)600兆円とかの妄想は捨てて、現実に向き合う。
という指摘は、一定程度は意味があるのではないかと思います。
「人口減少と衰退を引き受ける」のは不可避
現実の問題として、人口を吸い上げるところと人口が流出するところがある上、出生率も下げ止まってないわけですから、都市モデルを維持できる地域と維持できずに縮小・消滅する地域は間違いなく現れます。
例えば、またまた地元の話で恐縮ですが、富山市は総体的に見ると転入超過傾向で、2014年は約500人ほど人口が増えてます。
ですが、内訳を見ると、転入超過となってる自治体トップ10はすべて富山県内の自治体で、ここから吸い上げてる人口が約600人。結局のところ、じゃんじゃん県外に人が出ていっているのを周囲の自治体から人をかき集めてなんとか維持しているに過ぎないというのが実態。
移民の是非は別にしても、常識的に考えれば日本人も住まないど田舎に外国人がこぞって移住する訳もないですから、現実的には"衰退"を受け入れざるを得ない地域は出てくる。
富山県よろしく、強い基礎自治体であれば、周囲の基礎自治体から人をかき集めることでなんとか今のガタイを維持できるかもしれないですが、その一方では少なくない数の基礎自治体が「人口減少と衰退を引き受ける」という現実に向き合わなければならない。
最近は「チホーソーセーでジンコーゲンショーをなんとかしましょう!!!!1」みたいなノーテンキな話が巷を席巻していますが、全国に1700ある基礎自治体が、離島・半島・中山間地まで含めて、全部チホーソーセーできてジンコーゲンショーがなんとかなる、なんて絵空事でしかない。人口減少社会でパイの奪い合いをしたら、条件不利なところから衰退していくのは避けられない。
これ自体は、誰が悪さをしたわけでもなく、市場原理で人が自由意志で動いていったそうなった結果なので、もう受け入れるほかないと思います。
そういう意味では、スローガンとしてはあまりにもアレすぎるけれども、上野センセーの指摘もまんざら理がないわけでもない。
それでも「平等に貧しくなろう」はNG
ただ、上野センセーに「一理ある」と思ったのはそこまでで、「平等に貧しくなろう」という考え方には私は全くの反対です。
これも言い尽くされていることですが、再分配政策をするためには配る「原資」が必要です。「平等に貧しくなろう」なんていってたらみんな貧困になるしかないわけで、衰退していく地域を日本全体で支えるためにも、「稼ぐエンジン」たる「強い都市」が必要で、それなくして社会保障は成り立たない。
そう考えると、上野センセーは「平等に貧しくなろう」とうそぶいてますが、日本全体の持続可能性を考えれば、「不平等に生き残ろう」というしかないのではないかと思います。生き残れる地域は、周りの地域から人をかき集めて「強い都市」になって経済のエンジンになる。そうでない地域は、そこに残って暮らす人が普通に生活して普通に死ねるように、無理はせずに尊厳死していく。
少なくとも、「平等に貧しくなろう」なんて言って、死人に魂引っ張られて全員死んじゃう社会主義的展開はNGでしょう。
まあ、上野センセーはシティガールぶってますけど、実際は僕と同じで富山のド田舎出身ですから、衰退する地域に対する潜在的な郷愁みたいなものもあるのかなと勝手に想像しております。
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