土木的なものに、土木的でない何かをプラスアルファしていく

もう8年も前の話になるが、医療業界の前の仕事は土木系行政官だった。

 

いま振り返ってみると、土木計画だったり土木工事そのものは好きだった。最初に関わった道路工事やダム計画なんかは、今でも折に触れて思い出すし、鉄道行政も定期的に動向をウォッチしてしまう。息子がいわゆる「はたらくくるま」を見ていると、あれはね・・・などと解説してしまったりする。確かに土木は好きだった。

 

ただ、物事にはいろんな側面があり、自分自身が行政官として事業にまつわるいろいろなことを経験していくと、必ずしも土木を全面的に肯定することができなくなってしまった。少なくとも一生の仕事にしようとコミットする勇気が湧いてこなかった。土木には社会を変える力があるとは思っていたが、そのことを以て、土木にまつわる様々なことを包摂して肯定することができなかったのだ。


公共事業に携わっていると、信念というか、ある種の「信仰心」が必要とされる局面に出会う。

当時は逆風最大瞬間風速みたいな時期で、何かにつけて批判されやすかった。事業化するには色々なプレイヤーとの利害調整が必要、費用対効果分析も必要、財務省への説明も必要、政治家からは「早く地元の事業着工しろ」と詰められる等々、プロジェクト進めるためにはいろいろなハードルがある。いざ事業中にトラブル起きれば休みなく対応、やっとゼネコンと工事契約できたと思ったら設計変更でめちゃくちゃ揉める、、、etc. こんな大変なことを一生の仕事にするには、「土木の力」を強く肯定する力が求められる。

 

今、改めて当時の同僚や上司の姿を思い出してみると、やはり中核のポストには、自分たちの仕事の意義や役割について確信して事に当たっている人たちがいた。もちろん彼らは土木のいい面だけを見ていたわけではなくて、色々な面を見ながら、清濁併せ飲んで、それでも土木を是認していた。

 

自分はどちらかというと批判的な目が先行してしまう傾向があり、そこまで高いモチベーションは持てなかった。やはり自分には「信仰心」が足りなかったんだろう。私も「土木の力」はそれなりに信じているが、社会の変容が土木の力「だけ」でできるとは思えなかった。何か新しいインフラができれば何かが便利になるのは間違いないだろうが、地域を変えるほどの大きなインパクトは、土木だけではできないと思っている。新幹線や高速道路が出来たからって過疎地の人口は急増したりしないし、ダムが出来てもその能力を上回る洪水は必ず起きる。土木を活かす「プラスアルファ」が必要だと感じていた。いろいろ考えた末、自分は土木の世界を離れてプラスアルファの世界へ行こうと決めた。

 


最近改めて感じるのは、土木という「ツール」から解放されたことで、世の中をより正確に見ることができるようになったのではないかということ。例えば「まちづくり」という言葉ひとつとっても、国交省は区画整理のことを言いがちだし、経産省は商店街、厚労省は医療介護、文科省は地方国立大学の新興・・・とみんな違うことを考えている。同床異夢で自分にとって都合のいい解釈をする。そして大体の場合、相互に不可侵。連携しない。しかし、まちづくりのツールが国土交通行政的な区画整理や再開発だけのはずがない。

 

例えば、高齢者は公共交通がないと病院にもいけなくて・・・みたいな話を交通計画でする一方、実際には病院の無料送迎バスに乗って通院して院内の売店で飯買って家に帰ったりしている。送迎バスはいつも人いっぱいなのに、病院の前に停まるコミュニティバスはガラガラ。複眼的に見ていくと、本当はもっといろんな解決策があるはずだ。

 

土木的なものに、土木的でない何かをプラスアルファしていく。土木の信仰心は足りなかったけど、そういう方法で土木に貢献することはできるのではないか。これは意外と、シビルエンジニアの端くれだった自分にしか出来ないことなのかもしれないと最近感じている。

2021年はこんな感じで頑張っていきたい。