美大生の多くは「何かを作りたいから」ではなく「何かが作れちゃうから」入学してくる。だが、絵が上手くてすんなり入ってきた学生の多くは「オーケー、それで君は何が描きたいの?」と訊かれて初めて、自分には特に何も描きたいものがないことに気づく
— ヲノサトル (@wonosatoru) 2020年1月17日
誰かに聞いてほしい「メロディ」を持ってる学生には、どう歌ったら伝わるか、どう構成を工夫するか、編曲でどう伝えるか… いろんな助言ができる。だがメロディを持たない学生には、かける言葉がないのだ
— ヲノサトル (@wonosatoru) 2020年1月17日
大学生のほとんどは「勉強したいから」ではなく、「勉強できちゃうから」入学するので、美大に限った話でもないかと…。
— 狂人 (@mc_kyojin) 2020年1月18日
@nori76 コンサルのひと(に限らず偏差値エリート系高給ホワイトカラー)はやりたいことないけどやりたくないこと多いスーパワーカー体質のひと多いですからねえ
— gosyd (@gosyd) 2015年7月4日
これら、なかなか身につまされる話。やりたいことは特にないけど、やりたくないことが多くていつも「本当にやりたいこと」を探している高学歴ホワイトワーカー、自分もそうだったし、周りを見てもたくさんいた気がする。人事担当者になり、中途採用をしていると、やはりそういう方と出会う機会も多い。
こういった方は、基本スペックは高いので何でもそつなくこなせるんだけど、「やりたいこと」や「できること」が薄い場合が多く、コモディティ的人材になりがちだ。
この”ハイスペ・コモディティ”は何をやらせてもそこそこ上手くできるけど、「本当に自分がやりたいこと」がない。だからいつまでたっても自分探しで難関資格を集めたり聞こえがいい転職を繰り返したりする。
でも「本当に自分がやりたいこと」は、悲しいかな、難関資格を取ったりや就職偏差値が高い会社に転職したりした先にはない。”マッチョ”なキャリアを重ねたところでハイスペ・コモディティが本当に欲しかったものは手に入らない。マッチョキャリアの輪廻に取り込まれてしまうだけ。
ハイスペ・コモディティがマッチョキャリアの輪廻から脱するには、自分自身にしっかり向き合うしかない。自分で「何をするか」を決めるしかない。外に答えはない。